2012年2月24日金曜日

ここで、硬貨は生産されて?

資本論を読む - 第2部第1篇第2章第2節 - 蓄積、および拡大された規模での再生産

剰余価値部分の貨幣蓄蔵

第1節で言及され考察されていた「貨幣蓄蔵」は、生産諸手段であるとか労働力であるといった、生産資本の諸機能部分となる商品資本の購買にあてられるべき貨幣が滞留する場合のことだったが、ここで言及されているのは、剰余価値部分の貨幣蓄蔵、すなわち、剰余価値の資本化のさいにあらわれる蓄蔵貨幣形態のことである。

生産過程を拡大しようとすれば、その生産過程で稼動し消費される生産諸手段と、その生産諸手段に対応する労働力とを、拡大しうるだけの規模で追加しなければならない。どれだけの追加で生産過程が拡大しうるかは、社会的技術的に規定される。その規模がどれほどのものになるにしろ、一定の大きさになるまでは、剰余価値は追加資本として機能できない。一定の大きさになるまでは、剰余価値は生産資本循環の流れから引きあげられ積み立てられることになり、蓄蔵貨幣形態をとることになる。

このようにここでは蓄蔵貨幣の形成は、資本主義的蓄積過程の内部に含まれてこの過程に随伴してはいるが同時にこの過程とは本質的に区別される一契機として現われる。というのは、潜在的貨幣資本の形成によっては、再生産過程そのものは拡大されないからである。その逆である。潜在的貨幣資本がここで形成されるのは、資本主義的生産者は自己の生産の規模を直接には拡大しえないからである。[83]

もし彼が自己の剰余生産物を、新たな金もしくは銀を流通に投げ入れる金生産者もしくは銀生産者に販売するならば、または――結局同じことになるが――国内の剰余生産物の一部分と交換に追加の金もしくは銀を外国から輸入する商人に販売するならば、彼の潜在的貨幣資本は、国内の金財宝または銀財宝の増分を形成する。そのほかのすべての場合には、たとえば買い手の手中で流通手段であった78ポンド・スターリングが資本家の手中で蓄蔵貨幣形態をとっただけである。すなわち、国内の金財宝または銀財宝の配分が変わっただけである。[83]


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江戸幕末時代の、不等価交換による国外への金や銀の流出。わが国にとっては流出・減少であったが、取引先である当時の列強諸国にとっては、それらの国のなかに蓄えられる金や銀の総量を増やすことになったはずだ。

わが資本家の取り引きで貨幣が支払手段として(長い短いの違いがあっても期限がきてはじめて買い手によって商品が支払われるというやり方で)機能するとすれば、資本化するように予定されている剰余生産物は、貨幣には転化されず、債権に――買い手があるいはすでに所有しているかまたはこれから所有する見込みである等価物にたいする所有権原に――転化される。その貨幣は、利子生み証券などに投下された貨幣と同様に、循環の再生産過程にははいり込まない――他の個別産業資本の循環にはいり込むことはできるのであるが。[84]

第1節では、その最初の部分で、資本家の収入となる剰余価値の貨幣蓄蔵についてのべられていた。第1節では、剰余価値の全部が収入として支出されるものと想定されていたが、この第2節では、拡大再生産という過程を分析しやすくするために、便宜上、剰余価値の全部が資本化されるものと想定される。

われわれはまず単純再生産を考察したが、そこでは、剰余価値の全部が収入として支出されるものと想定された。現実には、正常な事情のもとではつねに剰余価値の一部分は収入として支出されなければならず、他の部分は資本化されなければならない――その場合、一定の期間内においては、生産された剰余価値が、ときには全部消費されても、ときには全部資本化されても、まったくどうでもよいことであるが。運動の平均では――そして一般的定式はこの平均を表わしうるだけである――両方のことが起こる。けれども定式を複雑にしないためには、剰余価値が全部蓄積されると仮定するほうがよい。[84]

拡大再生産循環をしめす定式

拡大再生産の循環は、つぎのような定式でしめされる。

P…W'―G'―W'<Pm,A…P'


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第1章で考察された貨幣資本循環G…G'が、剰余価値の生産を明確にしめしているのにたいして、拡大再生産循環をあらわす生産資本循環P…P'は、剰余価値の蓄積、剰余価値の資本化をしめしている。

P…W'―G'―W'<Pm,A…P'という定式は、生産資本がより大きい規模でより大きい価値をもって再生産され、増大した生産資本としてその第二循環を開始するということ、または同じことであるが、その第一循環を更新するということ、を表現する。この第二循環が始まるやいなや、われわれは出発点としてふたたびPをもつ。ただ、このPは第一のPのときよりも大きい生産資本である。[84]

P…P'を、G…G'すなわち第一の循環と比較するならば、この二つは決して同じ意義をもってはいない。G…G'は、単独な循環としてそれだけを取り上げてみれば、貨幣資本(または貨幣資本として自己の循環をしつつある産業資本)Gは、貨幣を生む貨幣、価値を生む価値であり、剰余価値を措定する、ということを表現するだけである。これに反して、Pの循環では、価値増殖過程そのものは、第一段階の終了、生産過程の終了とともにすでに達成されており、第二段階(第一の流通段階)W'―G'の経過後には、資本価値プラス剰余価値は、実現された貨幣資本として、第一の循環で最後の極として現われたG'として、すでに実存する。[84-85]

P…P'においてP'が表わすのは、剰余価値が生産されたということではなく、生産された剰余価値が資本化されたこと、したがって資本が蓄積されたということであり、それゆえP'は、Pに比べて、最初の資本価値、プラス、それの運動によって蓄積された資本の価値、からなる、ということである。[85]

G'もW'も、それだけをとり出して見れば、それぞれは「貨幣」であり「商品」である。それぞれのなかに含まれているG+g、W+wという資本価値としての内容は、あくまで、それぞれが資本の循環過程の互いの連関のなかでしめされるものだし、それぞれの貨幣資本、商品資本としての機能もまた、資本の循環過程の互いの連関のなかでしめされるものだ。


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また、生産資本Pの、一方に生産諸手段、もう一方には労働力という、その形態も、その対応の仕方――一方では対象的労働諸手段、他方では合目的的に作用する労働力――は、資本主義的生産以外の労働過程と共通している。たとえ、その生産諸手段が協業的に発展し、それに社会的労働力が対応しているとしても、それは必ずしも資本主義的生産に限られるものではない(第1部 第4篇 第11章 協業 〔資本主義的協業が他の様々な協業形態と区別される点〕)。

したがって、貨幣を貨幣として特徴づけ商品を商品として特徴づける独自な諸属性と諸機能とを、貨幣と商品との資本性格から導き出そうとするのはまちがいであり、逆に、生産資本の諸属性を生産諸手段としてのそれの実存様式から引き出すのもやはりまちがいである。[86]

G'またはW'が、G+gまたはW+wとして、すなわち資本価値とその新芽としての剰余価値との関係として、固定されるやいなや、この関係は両方の形態で、すなわちあるときは貨幣形態で、他のときは商品形態で、表現されているが、このことは、事態そのものをなにも変えるものではない。それゆえ、この関係は、貨幣そのものに属する諸属性と諸機能からも、商品そのものに属する諸属性と諸機能からも生じはしない。どちらの場合にも、価値を生む価値であるという資本を特徴づける属性は、結果として表現されるだけである。W'はつねにPの機能の産物であり、また、G'はつねに産業資本の循環中にW'が転化された形態でしかない。[86]


それゆえ、実現された貨幣資本は、それがふたたび貨幣資本としてのその特殊な機能を開始するやいなや、G'=G+gに含まれる資本関係を表現することをやめる。G…G'を経過してG'が新たに循環を開始するときには、それはG'の役を演じるのではなくGの役を演じるのであり、G'に内含されている剰余価値が全部資本化される場合でさえもそうである。われわれの例では、第二循環は、第一循環のように422ポンド・スターリングでではなく、500ポンド・スターリングの貨幣資本で始まる。循環を開始する貨幣資本は、前回よりも78ポンド・スターリングだけ大きい。この区別は、一方の循環と他方の循環とを比較するときに実存する。しかし、この比較は、個々の各循環の内部には実存しない。貨幣資本として前貸しされる500ポンド・スターリ ング――そのうち78ポンド・スターリングは、以前は剰余価値として実存した――は、他の資本家がその第一循環を開始するのに用いる500ポンド・スターリングと少しも違った役割を演じるものではない。生産資本の循環においても同様である。大きさを増したP'は、再開始にさいしてはPとして登場するのであり、いわば単純再生産P…PでのPに等しい。[86-87]

循環過程における資本の価値構成の変化に留意する

G'―W'<Pm,Aの段階では、増大した大きさはW'によってのみ示され、A'とPm'によっては示されていない。WはAとPmとの合計であるから、W'に内含されているAとPmとの合計が最初のPよりも大きいことは、すでにW'によって示されている。しかし、第二に、A'とPm'という記号は誤りであろう。われわれが知っているように、資本の増大には資本の価値構成の変化が結びついており、この変化の進化につれてPmの価値は増大し、Aの価値はつねに相対的に減少し、しばしば絶対的にも減少するからである。[87]



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