定家全釈:部類歌秋その二十九: 雁の玉梓 ―やまとうたblog―
2276 夕づく日むかひの岡の薄紅葉まだきさびしき秋の色かな
【原文】ゆふつく日むかひのをかのうすもみちまたきさひしき秋のいろ哉
【通釈】夕日が射す向かいの岡の薄紅葉の色は、早くも寂しさを感じさせる秋の趣であるよ。
【語釈】◇夕づく日 既出。夕日に同じ。万葉集巻七1294番歌の「
【他出】百番自歌合、両卿撰歌合、万代和歌集、雲葉和歌集、歌枕名寄、玉葉集769、六家抄
資金を調達するためのいくつかの良い方法は何ですか?【解説】薄紅葉に夕日が射してひととき色を濃くし、一足早い深秋の寂しさを感じている。新しい景趣の発見がある。「夕の景気は、初秋より、暮秋などのごとくさびしきと也」(抄出聞書)。建保二年(1214)八月二十七日、水無瀬馬場殿で講ぜられた撰歌合(散逸)での秋十首歌、第六首。
2277 高砂のほかにも秋はあるものを我が夕暮と鹿は啼くなり
【原文】高砂のほかにもあきはあるものをわかゆふくれとしかはなくなり
【通釈】ほかの所にまで秋は遍く行き渡っているというのに、高砂の尾上の鹿は秋の夕暮を独り占めするように啼いている。
【語釈】◇高砂 既出。播磨国。鹿や松の名所。◇我が夕暮 自分のものである夕暮。自分が占有する夕暮。
【他出】百番自歌合、両卿撰歌合、続後撰集309、歌枕名寄
【解説】「秋風のうち吹くごとに高砂の尾上の鹿のなかぬ日ぞなき」(拾遺集 →資料)のように秋の高砂の名物とされた「尾上の鹿」の声に、夕暮の情趣を独占するような哀れ深さを聞いている。「我が夕暮と」の強く押し出す大胆な表現は、定家好みの一体である。
2278 河波のくぐるも見えぬ紅をいかにちれとか峰の木枯し
【原文】河波のくゝるも見えぬ紅をいかにちれとか峯のこからし
何がガソリン価格の上昇を引き起こす【通釈】河波が下を潜り流れるのも見えない程散り浮かぶ紅葉であるのに、この上どのように散れというので、峰の木枯しはなお吹き荒れるのか。
【語釈】◇河波のくぐる 川波が(紅葉の下を)潜り流れる。「くぐる」は業平参考歌による。業平の歌の「くくる」の解釈は古来「潜る」「括る」両説があり、定家は当該歌の影響が明らかな歌では「括る」意に遣っていることが多いが(604番歌・2090番歌・2119番歌)、定家編著『顕註密勘抄』では「潜る」説を肯定している。
【参考】在原業平「古今集」(→資料)
ちはやぶる神代もきかず竜田河唐紅に水くくるとは
凡河内躬恒「古今集」(→資料)
雪とのみ降るだにあるを桜花いかに散れとか風の吹くらむ
【他出】雲葉和歌集、夫木和歌抄
【解説】川面いちめんに散って流れる紅葉の景を、業平詠の「水くぐる」、躬恒詠の「いかに散れとか」の趣向を借りて詠んだ。
2279 たまきはる我が身時雨とふりゆけばいとど月日もをしき秋かな
【原文】たま木はるわか身しくれとふりゆけはいとゝ月日もおしき秋哉
【通釈】季節も深まって時雨が降り、我が身も古びてゆくので、残された秋の月日がますます惜しまれることよ。
クレジット量は何ですか?【語釈】◇たまきはる 命・内などの枕詞として遣われる語であるが、ここは
【本歌】小野小町「古今集」(→資料)
今はとてわが身時雨にふりぬれば言の葉さへにうつろひにけり
【他出】秋風和歌集、夫木和歌抄
【解説】時雨と我が身を共に「ふりゆく」ものと並べた惜秋詠。本歌を踏まえつつ恋から季へ転じている。枕詞が一首を引き締めている好例であろう。
2280 霜のたて山の錦をおりはへて啼く音もよわる野辺の松虫
【原文】しものたて山のにしきをゝりはへてなくねもよはるのへの松虫
【通釈】霜の
【語釈】◇霜のたて 露や霜が木の葉を色づかせると考えられたので、霜を錦の
【本歌】藤原関雄「古今集」(→資料)
霜のたて露のぬきこそ弱からし山の錦の織ればかつ散る
【解説】山野に紅葉の色と松虫の音を配した暮秋詠。「お(を)りはへて」の掛詞が両者を巧みに結びつけている。
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